中井貴一のもう一人の”父親”とはだれ?実の父親・佐田啓二の死因は交通事故!

中井貴一さんは、映画監督の松林宗恵さんからスカウトを受けて、1981年に映画「連合艦隊」でデビューし、その年の日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞して、順調な俳優の道を歩き始めます。

 

1983年にTBS系で放送された「ふぞろいの林檎たち」で知名度を上げ、三基商事株式会社が販売している「ミキプルーン」のCMに20年以上出演していることでも有名な俳優ですね。

 

そんな中井貴一さんの父親は、とても有名な俳優だったそうです。今回は、中井貴一さんの父親について調べてみました。

中井貴一の父親・佐田啓二とはどんな人?

 

中井貴一さんは、スカウトで俳優デビューしているわけですが、遺伝子の影響もあるのかもしれません。

 

中井貴一さんの父親は、「佐田啓二さんです。

 

2016年に新海誠監督の手掛けたアニメ映画「君の名は」が大ヒットしたのは記憶に新しいと思います。

 

実はその元ネタとして、実写版の映画「君の名は」の3部作が公開されていて、その主人公・氏家真知子の相手役である後宮春樹を務めたのが、佐田啓二さんでした。

 

1953年から54年にかけてラジオドラマ「君の名は」の内容は、東京大空襲の戦火の中で出会った2人がもう一度会おうと約束し、ようやく出会えたその時には、氏家真知子は嫁ぐ前日だった・・というところからストーリーは始まります。

 

毎週木曜日に放送されていた放送時間には、日本中の銭湯から女性がいなくなるという逸話が残っているほど、日本中で話題になっていたため、ついに大庭秀雄監督の手で映画化が実現します。

 

若手俳優の一人だった佐田啓二さんは、この映画によって大スターの階段を一気に昇っていきました

 

映画そのものも、公開された年の日本映画興行収入の1位と2位を独占。翌年の第3部が公開されると、これまた第1位を獲得。

 

おそらく、当時の若い女性で佐田啓二さんと、主人公役を務めた岸恵子さんを知らない人はいなかったのではないでしょうか。

 

その後、「君の名は」の物語は、何度もテレビドラマ化されて、多くの人を楽しませてくれています。

 


「君の名は」で大ブレイクを果たした佐田啓二さんですが、その理由の一端として「イケメン」であることがいえるでしょう。

 

もし、現代にこの方がいたら、どれだけファンが狂喜乱舞しているのか想像も出来ません。ぜひその姿を拝みたかったものです。

 

しかし、残念ながら中井貴一さんの父親・佐田啓二さんは、すでにこの世を去っているため、その願いは叶わないのです。

 

中井貴一の父親は交通事故が死因で亡くなっている!

 

中井貴一さんの父親・佐田啓二さんは、1964年8月17日に「交通事故で他界されています。

 

この時、佐田啓二さんは享年37歳。幼い2人の子供を残しての突然の事故でした。

 

1964年8月13日から夏休みを兼ねて妻と信州蓼科高原の別荘に避暑に訪れていたが、NHKドラマ『虹の設計』の撮影に参加する為に帰京する途中、8月17日午前6時30分頃、乗っていた車が前方車を追い越そうとした際に韮崎市韮崎町の塩川橋の欄干に衝突

 

この時車に乗っていたのは佐田を含めて4名で、運転手は頭を打ち2ヶ月の重傷、日刊スポーツ記者が顔の骨を折り1ヶ月の重傷、佐田の義弟が右肩に1週間の軽症を負った

引用元:ヱントピ

 

同乗していた4人の内、佐田啓二さんだけが亡くなるという、運命のいたずらのような事故でした。

 

中井貴一さんが2歳の頃。父親との思い出は全く無いそうです。父親に対しての気持ちを中井貴一さんは、映画「プリンセス トヨトミ」でのインタビューで答えています。

 

親父がいなくて思うのは、後姿を見せてほしかったということでしょうか。

 

真田にもどこか共通しているような気がするんですが、子どもに選択肢を与える。特に、男の子に選択肢を与えるためには、親父の後姿ってすごく必要だと思うんです」と話す。

 

そして、「自分の進路を決めようとするとき、『オレは親父のようにはなりたくない』と思うのか、『親父のように生きたい』と思わせるか

 

それは教えてくれることではなく、後ろ姿を見てどう思えるかなんじゃないかな」と丁寧に言葉を選びながら説明した。

引用元:映画.com

 

物心がついた時には、すでに「父親」という存在がいなかった中井貴一さん。

 

直接、父親から影響を受けたことはないけれども、父親がいないことで周りから「ひとり親」と言われたり、苦しい生活の中で我慢することを覚えたりといった、人生に必要なことを学んだそうです。

 

俳優という道を選んだのも、子供の頃からの夢というわけでなく、スカウトされた時も「断る」つもりで家を出たものの、いざその時になったら「やる」と言ってしまったといいます。

 

これは何か、見えない遺伝子の力が働いていたのかもしれませんね。

 

交通事故の原因は「無理な」追い越し?

引用元:ほわほわブログ

 

1964年8月13日に起きた「交通事故の原因は無理な追い越しだとされています。

 

中井貴一さんの父親である佐田啓二さんは、事故の起きた3日後の8月17日にNHKドラマ「虹の設計」の撮影のために、母親と子供を別荘に残し東京に戻る途中でした。

 

佐田啓二さんは、事故前日に水洗便所の不具合で眠れていなかったそうで、すぐに車内で眠り始めます。

 

運転手は、山梨県韮崎市の塩川橋手前に進んできた時、前方に40キロで進む個人タクシーを追い抜こうとスピードを上げます

 

これは車を運転する方なら、お分かりになるかと思いますが、急いでいる時にこのスピードで走る車が前にいると、とてもイライラするほど遅いスピードです。

 

追い抜きをかけたところは、見通しは良い左カーブでしたが道幅は狭いところで、塩川橋の橋柱が目の前に迫り、運転手はとっさにハンドルを左に切ります。

 

そこで車はスリップ。佐田啓二さんが乗車していた右方向へ横滑りして橋柱に激突。その反動で個人タクシーに衝突して停止します。

 

たまたま下の河原にいた人が、その音に驚いて駆けつけた時には、大破した車と重軽傷を負った4人がいました。

 

佐田啓二さんは、すぐに病院に運ばれ処置を受けましたが、頭蓋骨が骨折している上に心臓の衰弱が激しく、11時に息を引き取りました。そのため、直接の死因は「頭部外傷」だったといわれています。

 

 

佐田啓二さんは自分で運転は出来るけれど、日頃は私生活では比較的安全と言われている後部座席右側を選んで運転を任せていたようです。

 

後部座席に座っていた事で、シートベルトをしていなかったことも、衝撃が大きくなってしまった要因になってしまったようです。

 

それが、死因に繋がってしまったことが、とても残念ですね・・。

 

佐田啓二さんは、30代になってから口をすっぱくして「安全運転」ということを言っていたようです。

 

そして、俳優の丹波達郎さんは佐田啓二さんと1964年に映画「暗殺」で共演した時「僕は家族のことを考えて、生命保険に入っています。丹波さんはちゃんと入っていますか」と聞いてきたといいます。

 

事故が起きたのは、それから数か月先後のことだったといいます。

 

佐田啓二さんは、もしかしたら「虫のしらせ」というものを感じていたのかもしれません。

 

中井貴一のもう一人の「父親」と慕うエピソードが素敵すぎる!

 

映画デビューから、中井貴一さんは順調に俳優業のキャリアを積んできたイメージがありますが、実は現場から逃げようと思った事があるようです。

 

その時、「もう一人の父親が俳優生命の大ピンチに陥った中井貴一さんを救ってくれたそうです。

 

2003年に初海外作品に挑戦した中国映画「ヘブン・アンド・アース 天地英雄」に、唯一の日本人のメインキャストとして出演していた中井貴一さん。

 

当然、スタッフの言葉は全て中国語、ロケ現場について10日間出番が無いなど、かなり過酷な状況に置かれてしまい、撮影の途中で我慢の限界を超えてしまい、帰国することを決めたそうです。

 

 

ホテルに戻り、荷物をまとめて帰国の準備をしていた時、俳優の「故・高倉健」さんから電話が入ります。

 

仕事を放り出して帰ってくるってダセェよなと諭され、今の仕事をやり遂げようと決意出来たそうです。

 

中井貴一さんのデビュー作「連合艦隊」の時から、高倉健さんとは交流があるそうで、海外作品に出演する時にも高倉健さんに相談をしていたようです。

 

中井貴一さんは高倉健さんを第2の父親として慕っていて、「俺の父親がこんな人だったらいいなと思っていた」といいます。

 

事故で「実の父親」を失い、「父親」という存在が幼いころから、どんなものなのかを実感出来なかったのかもしれません。

 

高倉健さんも、もしかしたら「父親代わり」として接しようとされていたのかもしれません。とても素敵な関係だったのだということが分かりますね。

 

中井貴一の母親は誰?どんな人なの?


中井貴一さんの母親、つまり佐田啓二さんの妻は誰なのでしょうか。そして現在はどんな活動をされているのでしょうか。

 

中井貴一さんの母親は一般人の「杉戸益子」さんといって、「大船撮影所の近くにあった食堂の看板娘」だったそうです。食堂の主人の姪っ子だったようで、お手伝いをしていたようですね。

 

つまり、相当に器量が良くて明るい人だったということですね。

 

 

それに加えて、母親である益子さんが京都出身で、父親の佐田啓二さんも京都出身だったことで、お互いに京都弁で話せることが、とても嬉しかったようです。

 

佐田啓二さんは食堂に通いつめ、仲を深めていきました。当時、映画監督の小津安二郎さんから、かなり可愛いがられていたという益子さん。

 

佐田啓二さんは、小津監督にかなり遠慮していたそうですが、結婚を決断した時には「益子さんと結婚したいです」と思い切って、結婚の許しをもらいにいったそうです。

 

小津監督は、快く承諾してくれたそうで、仲人も引き受けてくれたそうです。

 

 

そして、1957年02月28日に結婚

 

その後、現在は中井貴一さんの姉であり、女優として活動している女優・「中井 貴惠」さんが1957年11月27日に誕生し、1961年9月18日に長男の中井貴一」さんが誕生します。

 

旦那さんである佐田啓二さんが亡くなり、たった一人でシングルマザーとして子供たちを育てました。

 

中井貴一さんは成長してから、母親に父親に事故の原因を聞いたそうですが、「お父さんの運命は37という歳だったのよ」というだけで、詳しいことは話すことは無かったそうです。

 

ある時まで、中井貴一さんは母親に殴られた厳しく礼儀作法を躾けられ、殴られた覚えしかなかったそうです。18歳になった時に運転免許を取得する時に、母親の本当の気持ちを知ることになりました。

 

母親は、「人に運転されて死ぬよりも、自分で死ぬ方がいいわ」と話し、この言葉を聞いてようやく母親の気持ちを痛感したといいます。息子に対して厳しく躾けたことや、手を出してまで育てた子育てはなぜだったのかが、腑に落ちたようです。

 

母親の益子さんは2016年に病気で亡くなるまで、息子に対する態度は変わることはありませんでした。

 

母親に褒められたくて、役者を続けてきたという中井貴一さん。母親の死の直前に「頭をなでてくれよ」と頼んで、号泣したといいます。

 

大人になっても、なかなか親との距離感を上手く取れない人も多いですが、中井貴一さんの姿を見ると、後悔のない選択と行動をしていく必要があるように思いますね。

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