ラサール石井に子供はいるの?子供時代の写真は?

お笑いタレントのラサール石井さん。タレントとしてだけでなく、俳優、声優、演出家としても活躍中です。今回は、ラサール石井さんの子供と子供時代に注目してみたいと思います。

ラサール石井に子供はいる?

ラサール石井さんの子供についての情報は少ないです。ラサール石井さんは1979年に結婚、二人の娘に恵まれました。しかし、2011年に離婚

石井は早大在学中に入所した劇団「テアトル・エコー」養成所で劇団員女性に一目ぼれし、79年に結婚。前妻は「コント赤信号」がブレークする前の下積み時代の石井を支え、2019年には28歳と27歳になる2人の娘をもうけた

しかし、石井は仕事が多忙になった95年ごろから都心にマンションを借りて1人暮らしを始め、別居状態が続いた。一昨年に離婚協議が始まり、昨年1月に離婚届を提出し、32年間の結婚生活にピリオドを打った。

2012年1月に32歳年下の現役女子大生の桃圭さんと再婚しましたが、2019年現在、桃圭さんとの間には子供はいないようです。

――(前妻の)娘さん2人はなんと言ってる?
コメント聞いてない。メールしても返事がないので黙認かと。

ラサールさんの前妻との間に2人の娘がいるのですね。この2人に関する情報は女の子だという事だけで、誕生日や学校など詳しいことは出てきませんでした。娘さんたちは自分よりも年下の義母に対してどう思っているのでしょうか。

 

ラサール石井の子供時代は?

1955年10月19日生まれ、大阪府大阪市住吉区帝塚山出身のラサール石井さん。実家の家族は父親、母親、お兄さん、お姉さん、ラサール石井さんの5人家族です。

実家は以前には煮豆屋さんを営んでいたそうですが、現在はラサールさんのお兄さんがうどん屋さをされているそうです。ご家族は皆お笑い番組が大好きで、小さい頃からお笑い番組をたくさん見る環境だったとか。小さな頃はコメディアンに憧れていたそうです。

ラサールさんは3人兄弟の末っ子なんですね。お兄さんとお姉さんだという事は、男性視点と女性視点の両方を得る事が出来る訳で、それだけでもラサールさんは恵まれてますね。コメディアンとは少し違いますが、小さい頃の夢は叶えられたのではないでしょうか。

 

ラサール石井の子供の頃の写真はある?学校はどこ?

ラサールさんの子供時代の写真がこちらです。面影が少しありますね。

ラサールさんの小学校は、大阪市立住吉小学校です。幼稚園時代から漢字が読めたというラサールさんは俺はやれば出来る」という自信だけはあったそうです。運動は大の苦手。特に球技はからっきしでした。床に落ちたバレーボールを拾おうとして足で蹴ってしまったとか。

中学校は大阪市立住吉中学校です。高校に進学するために「入江塾」に通っていたラサールさん。1.2年の時はさぼってばかりだったそうです。中学3年の3学期にものすごく勉強して、灘高校を目指しましたが不合格。全国でも上位進学校である鹿児島のラ・サール高校へ進学しました。

文武両道とはいかなかったようですね。その代わりに勉強は得意だったようです。灘高校を目指そうとしても目指せる学力まで上げられる人は限られますからね。

 

ラサール石井の高校や大学はどこ?

鹿児島にあるラ・サール進学校とは偏差値76という驚異の高校です。この高校の上位100人は東大に入ると言われていて、最初の実力テストは260人中で7位だったそうです。それに安心してしまったのか勉強しなくなったら成績は落ちていってしまいました。

東京大学も受験しましたが不合格で、早稲田大学第一文学部(偏差値68)に進学。在学中に劇団テアトル・エコー養成所に入所し、そこで一期下だった渡辺正行さん、小宮孝秦さんとコント赤信号を結成され本格的に芸能活動を始めたようです。

この頃から多忙だったようで、学業と芸能活動の両立が難しくなり早稲田大学から除籍れ、本格的に芸能の道へ進まれています。

なかなか入ろうとしても入れない高校へ、しかも大阪から鹿児島にある高校へ進学したラサールさん。おそらくは東大受験を見据えた末の結論だったのだろうと思いますが、残念ながら東京大学へは進学出来なかったようです。その代わりに芸能という道へ本気で向かう事になったのですね。

 

ラサール石井が東京大学に再挑戦?

2010年に間寛平がアースマラソンに挑戦したことに影響され、東京大学に再挑戦することを決意。現役時代も東大を目指していたことから、40年ぶりのリベンジということになります。

2012年から受験をしていますが、結果は不合格。毎年1月に行われるセンター試験で良い点が取れずに3年連続で落ちるという結果になってしまっています

2015年には『独占密着!ラサール石井 本気の東大受験!~運命の合格発表SP~』という番組も放送されました。東大に対する情熱はまだ燃え尽きていないようで、また来年も挑戦すると話しています。

やはり東京大学への夢は捨てきれないようですね。来年のセンター試験の結果が良いものである事を願います。

 

ラサール石井が子供時代に通った「伸学社」(通称入江塾)とは?

「伝説の学習塾」と呼ばれた塾が、大阪にあった。大阪府立高の教師だった故・入江伸(しん)が昭和32(1957)年から昭和61(1986)年まで開いていた「伸学社」(通称・入江塾)だ。

全国一の進学校、灘高の募集人員が55人だった年に30人の合格者を出したこともあるという。特徴的だったのは、成績が悪くてもやる気さえあれば、無試験入塾させたこと。

塾設立のきっかけは、内申点が重視される府立学校の制度に対する入江自身の反発だった。「良い内申点をもらうため、先生たちの顔色ばかりをうかがうのはおかしい」私立なら内申点は関係ないと、ターゲットは灘高にすえた「人間が7分、学力は3分やで」これが先生の口癖でした。

徹底した“スパルタ”だったが、情熱的な指導を行う入江の人気はカリスマ的だった。怒ると怖かったが、同時に自分たちのことを考えてくれているという思いがストレートに伝わっていたからだ。出身者にはその後、医師や官僚などになった人も多いが、タレントのラサール石井さんも卒業生の一人だ。

入塾後のクラス分けテストでは、中3でも、実力に応じて中1のクラスに放り込んだ。その上で、「謙虚でたくましい自信」が身につくよう日々の生活実践を重視した。

理念を象徴するのが生徒自ら塾運営の一端を担う「当番」制度だ。教務、広報、清掃係…。夏休みなど長期休暇の合宿では、炊事や風呂係も加わった。「勉強の邪魔」と、不満を募らせ、子供を退塾させる親もいたが、入江は意に介さなかった。

スパルタ指導には賛否はあったが、生徒にとことん密着し、学力だけでなく礼儀などにもこだわるスタイルは注目を集め、世話好きな指導者たちによって入江塾をまねた学習塾も生まれるなど、その後の関西の進学塾のあり方にも影響を与えた。

全国に教室を展開するある進学塾の幹部は、関西と関東の進学塾の違いについて「一概にはいえないが、関西の方が授業時間が多く、生徒の拘束時間が長いイメージがある」と指摘。

そのうえで「関東の保護者は『短い学習時間で合格させてほしい』とスマートさを望むが、関西は『全部お任せしたい』と塾に手厚いサポートを求める人が目立つ。塾側もそうした思いに応えようとしているのではないか」と話していた。

入江も「生活実践の姿勢さえ正しければ、学力は自然に付いてくる」と考えていた。そこには一人一人の自立が肝心だという信念があった

お会いした事はないですが、入江先生はきっとその時の受験に受かればいいなんて指導ではなく、生徒の受験の先にある長い長い人生の将来を見据えての指導をされていたのでしょう。こんな塾が世の中にもっと増えていけば、若い人達の希望になるのではないかと思いますね。

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