ラサール石井に子供はいるの?子供時代の写真は?

お笑いタレントのラサール石井さん。タレントとしてだけでなく、俳優、声優、演出家としても活躍中です。

今回は、ラサール石井さんの子供と子供時代に注目してみたいと思います。

ラサール石井に子供はいるの?何人いるの?年齢は?

 

ラサール石井さんの子供についての情報は少ないですが、いくつかある情報をまとめてみたいと思います。

 

ラサール石井さんは1979年に結婚、2人の娘に恵まれました。しかし、2011年に離婚しています。

 

石井は早大在学中に入所した劇団「テアトル・エコー」養成所で劇団員女性に一目ぼれし、79年に結婚。前妻は「コント赤信号」がブレークする前の下積み時代の石井を支え、27歳と26歳になる2人の娘をもうけた

 

しかし、石井は仕事が多忙になった95年ごろから都心にマンションを借りて1人暮らしを始め、別居状態が続いた。一昨年に離婚協議が始まり、昨年1月に離婚届を提出し、32年間の結婚生活にピリオドを打った。

引用元:日刊スポーツ

 

2012年1月31日付けの日刊スポーツの記事に載っている当時の娘さんの年齢から逆算すると、長女は1993年、次女は1994年生まれの年子ということになります。

 

ラサール石井さんが再婚した時、娘さんたちはどう思っていたのでしょうか。

 

ラサール自身も「最近メールを出しても返事がない。黙認ということ」と娘と連絡が取れていないことを認めている。

 

週刊誌記者がその娘の友人から伝え聞いた話では「”年下との再婚はいいけど、それを売り物にしているのが不愉快“と怒っていたようだ」という。

 

ラサールはテレビ番組で“結婚ってそんなにいいもんじゃないと思った”などと前妻への不満も明かした言動が娘たちを怒らせたようです。心遣いに欠けると思われても仕方ないのでは」(同記者)

引用元:エキサイトニュース

 

さすがに娘さんたちも大人ですから、親の結婚についてあれこれと口を出す事はなかったようですが、再婚当時の父親の行動は「売名行為」にしか映らなかったのですね。

 

芸能界という特殊な世界で生きている父親を支えた母親に対する言動も、娘さんたちは許せなかったようです。

 

さすがに再婚して9年が経った今では、また違った意見を持っていると思いますが、現在の娘さんたちの声を見つける事は出来ませんでした。

 

 

ラサール石井の子供の学校は芸能人ご用達の「アノ」学校?

 

ラサール石井さんは高学歴芸能人としても有名な人ですが、娘さんたちはどこの学校へ通っていたのでしょうか。

 

 

どうやら、娘さんたちは「玉川学園高等部」出身者であるようです。

 

たとえば、、、
赤井英和(息子)、ミスチル桜井・前妻(娘)、 中村雅俊(子供)、児玉清(息子)田原俊彦(娘)、ラサール石井(子供)、勝村政信(息子)、荒木由美(子供)

一体、入園式や卒業式、授業参観などに訪れるのでしょうか…?

引用元:NAVERまとめ

 

「玉川学園」は、東京都町田市にある東京ディズニーランド(51万m2)を超える59万m2の広大なキャンパスの中で「幼稚園・小学校・中学校・高校・大学・大学院」まで全てが同一校内にあり、「K-12」という一貫教育を行っている私立学校です。

 

偏差値は59で、いわゆる「MARCH」(明治大・青山学院大・立教大・中央大・法政大)や「関関同立」(関西大・関西学院大・同志社大・立命館大)へ進む生徒が多いようです。

 

勉強が出来るのは、やはり父親譲りなんでしょうね。娘さんたちが大学に進学されたかどうかは分かりませんが、進学していたとしたら、難関大学へ進学していることは間違いないでしょう。

 

ラサール石井の子供時代はどんな子だったの?小学校はどこ?画像はある?

 

ラサール石井さんの小学校時代はどんな子だったのでしょうか。

 

ラサール石井さんの本名は石井朗夫(あきお)さんといい、1955年10月19日生まれで大阪府大阪市住吉区帝塚山出身です。

 

実家は、父・母・兄・姉・ラサール石井さんの5人家族ですが、お兄さんは帝塚山にある、祖父の代から総菜店を営み、叔父からのれん分けをされたうどん屋の「帝塚山めん処 いし井」の経営を行っています。

 

 

ラサールさんは3人兄弟の末っ子なんですね。お兄さんとお姉さんだという事は、男性視点と女性視点の両方を得る事が出来る訳で、それだけでもラサールさんは恵まれてますね。

 

 

ラサールさんの今と子供の頃を比べると面影が少しありますね。ラサール石井さんは大阪市立住吉小学校、大阪市立住吉中学校へと進みました。

 

勉強はやればできるとは勝手に思っていましたが、好きだったわけではありません。

 

笑いのレベルで言うと、ぼくは中学のときのクラスでは2番目だと思っていました。クラスで2番なんだから、世の中での順位はもっと低いだろうと。

 

だから芸人になれるとは思ってもみませんでした。 ただ、漠然とみんなと同じようにサラリーマンにはならないだろうとは思っていました。 漫画家か、小説家になりたかったですね」

引用元:講演依頼.com

 

意外な事実が発覚。ラサール石井さんは、小さい頃からお笑いの道に進もうと思っていたわけではないのですね。

 

ラサール石井さんは中学1年の時から「入江塾」へ通う事になりました。「入江塾」に入塾したのは、たまたま近所だったからだそうですが、それがラサール石井さんの将来に大きな意味を持つことになります。

 

「入江塾」では、難関校で有名な「灘高」合格を目指していた塾でした。中学3年生の3学期、入試直前の2週間は塾に缶詰状態で必死で受けた灘高でしたが、結果は不合格。

 

併願していた高校への入試に向かう事になるのです。

 

ラサール石井が子供時代に通った「伸学社」(通称入江塾)とは?


引用元:サンケイニュース

 

「伝説の学習塾」それが故・入江伸(しん)さんが大阪で1957年から1986年まで開いていた通称「入江塾」です。

 

正式名称を「伸学社」といい、成績よりもやる気を重視して無試験入塾させるという型破りな塾でした。

 

この塾では「内申点重視の高校受験」に疑問を持つ入江先生が、「内申点が関係ない」高校であり、おそらくは塾生の人生を見据えた上で「灘高合格」を目的にしていました。

 

「人間が7分、学力は3分やで」これが先生の口癖で、「人間力」と「学力」の両立を掲げたこの塾からは、募集人員が55人だった年に30人の合格者を出したこともあったそうです。

 

 

入江先生の教育方針は「スパルタ」だったそうですが、それ以上に「カリスマ」を持った先生だったそうです。

 

たとえ中学3年生であろうと、実力がなければ中学1年生のクラスへ落とす事もいとわなかったようです。しかし、そのおかげで塾生たちは結果を残しているのです。

 

当時の塾生は「この厳しさは愛情の裏返しである」ことを、肌身に沁みて感じることが出来ていたのでしょう。

 

 

入江塾の指導方法には保護者の人たちからは、賛否両論がありましたが、「人間形成」までも視野に入れた学習方法は、その後の関西における進学塾の方向性に大きく影響を及ぼしたそうです。

 

特に関東と関西では「学習塾に対する考え方」が正反対らしく、「短時間で成果を求める」関東の考え方と違い、「全て任せる分、手厚いサポートを求める」関西ならではといえるでしょう。

 

 

お会いした事はないですが、入江先生はきっと「その時の受験に受かればいい」なんて指導ではなく、生徒の受験の先にある長い長い人生の将来を見据えての指導をされていたのでしょう。

 

こんな塾が世の中にもっと増えていけば、若い人達の希望になるのではないかと思いますね。

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ラサール石井の高校や大学はどこ?


引用元:bing画像

ラサール石井さんは、「灘高」を受験したものの不合格になり、併願校の鹿児島にあるラサール高校へ進学します。

 

ラサール高校は全国でも上位進学校に位置する高校です。なんと偏差値は76!ラサール高校の上位100人は東大に入ると言われているほどです。

 

ラサール石井さんは最初の実力テストで7位という好成績をとりましたが、その成績に安心しきってしまい、勉強をしなくなったことで卒業する時は243番まで落ちてしまっていたそうです。

 

当然のように大学は「東京大学」を選び受験しますが、結果は不合格。試しに受けていた早稲田大学の政治経済学部にも落ち、文学部(偏差値68)にのみ合格したため、そのまま進学することになりました。

 

早稲田大学在学中に劇団テアトル・エコー養成所に入り、そこで一期下だった渡辺正行さん、小宮孝秦さんと「コント赤信号」を結成され本格的に芸能活動を始めたようです。

 

そのうち、学業と芸能活動の両立が難しくなり早稲田大学から除籍れ、本格的に芸能の道へ進むことになります。

 

なかなか入ろうとしても入れない高校へ、しかも大阪から鹿児島にある高校へ進学したラサール石井さん。

 

おそらくは東大受験を見据えた末の結論だったのだろうと思いますが、残念ながら東京大学へは進学出来なかったようです。その代わりに芸能という道へ本気で向かう事になったのですね。

 

しかし、「東京大学」への憧れは今も残っているようです。

 

ラサール石井が東京大学に再挑戦?


2010年に間寛平さんがアースマラソンに挑戦したことに触発されて、ラサール石井さんは東京大学に再挑戦することを決意します。

 

なんと40年ぶりの東京大学への挑戦でしたが、結果は4年連続で不合格

 

2017年のテレビ朝日系で放送された「パネルクイズ アタック25」の芸能人大会に出場した時に、センター試験を突破出来なかったと告白しています。

 

挑戦中の東大受験については「今年で4度目かな。センター試験を受けましたが、足切りで、東大の2次試験に進めませんでした」と結果報告した。

これまでZ会の通信教育や、個人指導の塾にも通ったそうで「国語はほぼ満点だったけど、数学がね…。

7科目で平均75か80点くらい取らないと東大の2次には行けないんです」と頭をかいた。

引用元:ディリーニュース

 

東京大学への挑戦については、2015年に日本テレビで放送された「独占密着!ラサール石井 本気の東大受験!〜運命の合格発表SP〜」(関東ローカル)番組以降も密かに挑戦を続けていたようです。

 

ラサール石井さんは、「東大合格」という夢を諦めきれないようですね。きっと今でも勉強を続けているのでしょう。

 

60歳を超えてなお、挑戦する気概を持っているラサール石井さんの姿勢には、頭が下がりますね。

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